国友やすゆきの魅力を伝えるのは難しい。
以前、ある人から「一番好きな漫画家は?」と聞かれ、少し躊躇をし、でも嘘はつきたくないから、「国友やすゆき」と答えて、どんな漫画家なのか説明した。
すると、その人は「オヤジ向けのエロ漫画家」だと判断したらしく、「あー、そう・・・」と、そこで会話は途絶えた。
確かに「オヤジ向けのエロ漫画家」なのは間違いない。
でも、それ以上に国友やすゆきの漫画には目を見張るほどの「くだらなさ」がある。
その中でも『時男』は国友やすゆきの最高傑作だと思う。
数年前、電車の中吊り広告で、国友やすゆきの新連載が始まると知って、ぼくは急いでコンビニに立ち読みしに行った。
その場で、立ち尽くしてしまった。
あまりのくだらなさに感動してしまったのだ。
主人公の堤時男は結婚を目前に控えたサラリーマンだ。
ある日、同僚の女性が時男を会社の屋上へと呼び出す。
彼女は時男をずっと恋焦がれていて、結婚前に一度でいいから抱いてほしいのだ、と懇願する。
泣きながら訴える彼女に、時男は「一度なら・・・」と誘惑に負け、二人でホテルに行って、セックスをする。
2人が絶頂に達しようとした瞬間、ホテルに雷が落ち、時男はタイムスリップしてしまう。
戦国時代に。
ぼくは時男が全裸で戦国時代に行ってしまったラストページを読み、しばらく呆然と、「すごいものを読んでしまった」と感慨にふけっていた。
その後に展開されるストーリーでも、まともな人間なら恥ずかしくなってしまうようなアイデアを連発していく。
国友やすゆきのマンガは、正真正銘の「頭をからっぽにして楽しめる漫画」だ。読んでいると現状への不安や不満、常識や羞恥心までもすべて忘れられる。
けれど、国友やすゆきのマンガはどれも抜群に面白いのだが、評価はされない。ネットでも国友やすゆきに言及している人は驚くほど少ない。
なぜ評価されないのかというと、「国友やすゆきのマンガが好きだ」ということは「中年向けのエロ漫画が好きだ」と告白することに近く、それは格好悪くて、「恥ずかしい」ことなのだ。
でも、ぼくは国友やすゆきは天才だと思う。すごく笑えて、なんだか癒されるマンガを描く人だ。
『時男』は切ないストーリーだった。
元の時代に戻るためには、セックスをしなけらばいけない。
それもただのセックスではなく、お互いが愛しあいながら絶頂を迎えなければいけない。
つまり、愛する二人が最高の繋がりを感じた瞬間、別れなければいけないのだ。
こんなにリリカルなSF漫画を、ぼくは読んだことがない。
くだらなさを追求した結果、とても切ない設定が生まれてしまったのだ。
国友やすゆきの漫画は、こういった奇跡をたくさん起こしている。
ぼくのバイブルだ。