夏のサマー2016

夏の間だけ毎日更新されるブログです

自分をさらけ出すことに中毒性はあるのか

 Facebookにログインすれば、誰かのプライベートの大洪水がやってくる。

 どこどこに行った。
 誰々とごはんを食べた。
 ○月×日に△△をやります。

 みんな名前も顔も出して、いきいきと発信している。今じゃ当たり前の光景だけれど、昔はそうじゃなかった。

 ジャスティン・ホールが1994年にウェブサイトを開設したとき、ウェブに日記を書くのは少数だった。名もなき個人が詳細な生い立ちを語るなんてことは、誰もしていなかった。
 そのせいもあってジャスティンはネットでたくさんのファンができる。その頃、ジャスティンはワイアードインターンをしていたのだけれど、企業が作るウェブマガジンよりもジャスティンのウェブサイトの方がアクセスが多かった。
 ジャスティンはウェブに大きな可能性を感じた。みんながみんな、自分のように個人的なヒストリーを語り始めれば、世界はもっと楽しくなるはずだ。だけど、個人でウェブサイトを作る人間はまだまだ少なかった。
 そこでジャスティンはHTML入門のページを作り、日記の最後にそのリンクをいつも貼った。「教えてほしい」と言ってきた人に会いに行き、個人教授もした。ウェブサイトの作り方を教えるテレビ番組にも出演した。

「どこの高校にも詩を書くのを好きなやつがいるだろう。そいつらがみんなネットで書くようになる。それはすごいことだ」

 何でもかんでもネットに書くジャスティンの行為は、「ナルシストだ」「馬鹿げている」とも言われた。ジャスティンは「いずれ、みんな自分のように何もかも語りだす」と言い張った。それは当時、非現実的なことだと受け取られたが、インターネットはジャスティンが言った通り、個人のプライベートをさらけ出す方向に発展していった。

 ジャスティンに転機が訪れたのは2005年だ。当時、付き合い始めた恋人のことをネットに書いたら、恋人から「やめてくれ」と言われたのだ。
 悩んだ末、ジャスティンは彼女との関係性を取った。ウェブサイトのトップページからは日記を消し、代わりに動画を貼った。ジャスティンが泣きながら日記をやめることを宣言した動画だ。

 その後、ジャスティンはその恋人と結婚した。一緒にゲーム会社も作った。

 ジャスティンは成熟した・・・のだろうか? そのままウェブに何も書かなくなり、会社経営だけに専念していたら、そうとも言えるだろう。

 だけど、ジャスティンは離婚をすると、ウェブでの発信を再会させた。そのことでウェブアワードを受賞したりした。
 ジャスティンは今でもいきいきと自分のことを語り、自分のドキュメンタリーを自分で作ったりしている。

 ジャスティンはなぜウェブに戻ってきたのだろう。なぜ自分を語ることをやめないのだろう。
 僕は今でもプライベートをさらけ出すことに抵抗がある。けれども、世界はどんどんジャスティンの言う方向に向かっていっている。この流れの果てには何があるのか? プライベートはどうなってしまうのか? 僕にはわからない。

(おわり)

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