夏のサマー2016

夏の間だけ毎日更新されるブログです

「いつまでも変わるな」とインターネットは言う

 インターネットによって大きく変わったのは、ライフログが何年も蓄積されるようになり、そこに誰もがアクセスできることだ。
 ツイッターがサービスを開始したのは2006年。初期から始めている人は9年分の発言が溜まっている。

 人は連綿と変わっていくものだ。できないことができるようになり、食べられないものが食べられるようになり、一緒に住む人が変わり、趣味が変わって、仕事が変わる。

 しかし、インターネットに溜まった大量のログは「前と違うじゃないか」と言ってくる。「前と言っていることが違うじゃないか」って。

 以前、佐藤雅彦の本を読んでいて、興味深いことが書かれていた。
 人間の前に2枚の絵を用意する。1枚目には正方形の四角と、ネズミが描かれている。2枚目にはネズミが消えて、正方形の四角だけ描かれている。この2枚を見ると、人は「ネズミが正方形の箱の中に入ったんだな」と考えてしまうんだという。説明文を読むまで、僕もそう受け取っていた。

 断片と断片を見せられたとき、そこに文脈を読み取り、整合性を付けてしまうのが人間なのだ。

 そして、それは自分自身にも言えることなんじゃないだろうか。
 過去の自分と現在の自分を照らし合わせて、文脈に沿った行動をしていないか。

「以前、こういうことをしていたから、これはできない」

 そう考えて、踏み出すのを止めるのは自分である。
 本当はそこに文脈なんてない。佐藤雅彦の本で紹介された絵も、ネズミと四角の絵と四角の絵がそこにあるだけである。文脈を読み取って整合性を付けてしまうのは自分の頭だ。

 頭はすぐ文脈を作ろうとする。
 以前、こういう服を着ていたからおんなじ系統のこれを着ろ、と言う。
 以前、これを食べたら美味しかったらもう一度これを食べろ、と言う。

 そこから逃れるためには、頭を裏切っていかなきゃいけない。具体的には、「このパンにしよう」と思った隣のものを買い、興味のない雑誌を読み、行きたくないところに行くことだ。

 一時期、そうしようと努めていた。月に1回は掃除だったり、金融だったり、スポーツだったりと興味のない雑誌を買って読んでいた。レーズンが嫌いなのにレーズンパンを選んでいた。バナー広告は内容に関わらず、とりあえずクリックしていた。

 そうすることで新しい世界も開けた。変わっていくこと。それを恐れないこと。

 しかし、それはもう止めている。それをやろうとし続けるのもまた文脈であり、くそったれな予定調和であって、裏切っていかなきゃいけないからだ。

(おわり)

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